社会人になって相当に久しい「window tribe」です。小学生は夏休み真っ盛りで羨ましいかぎりですが、社会人になって数少ない良かった事は「夏休みの宿題が無い事」でしょうか。
そんな昔を思い出しつつ、今回は現代の利器「デジタルカメラ」を使って、行く先々で出会った気になる生き物にレンズを向けた生き物日記を綴ってみました。
まずは前回のカメラ道楽部屋では、京都鴨川で出会った鳥達で終わりましたので、鳥からスタートしてみます。
さんざん通っている「しまなみ海道」も最近は横着をして原付バイクで竹原の忠海港からフェリーを使い大三島にアクセスしています。忠海港を出港して直ぐに海に向かってパン屑を投げる人がいました。そうしますと突堤辺りにいたカモメたちが、フェリーを追いかけてきてパン屑を空中キャッチしていきます。
昆虫観察あれこれ
私が最初に買ったデジタル一眼レフはオリンパスのE-300という入門機でした。買ってしばらくの間は嬉しくて嬉しくて、アルミケースの中のスポンジをカメラ型にくり抜きクッションにするという、今の私からは考えられないほどの丁重な扱いで
今でこそ「しまなみ馬鹿」で通していますが、あの当時は九州が大好きで「やまなみハイウェイ」を行ったり来たりする「やまなみ馬鹿」でした。弊社の広告で使っていた「道」の写真があるのですが、長者原付近の真っ直ぐな道を撮ったもので、何にでもレンズを向けていました。
その当時の方が今より真剣に撮っていた感じでしょうか。入門用のカメラに標準レンズとは言え結構近寄って撮れるものですので、旅先でも蝶や蜂など花に集まる虫に逃げられないように忍び足で近寄っては撮っていました。
蝶のストローのような口は吻(ふん)といって、この細さでくるくる巻いたり蜜を吸ったりしますので、神秘的に思っていました。ただしこれよりもっと細いヤツが蚊の吻で血の固まらない物質を出しつつ血を吸うのですからもっと感心しますが、蚊は私の気配ですぐ逃げてしまいますので撮影にはハードルが高いです。
弊社東工場の前にある植え込みの手入れをしていますと、黒にオレンジのとげとげの見るからに毒々しい虫がいました。次に見た時には丸まったサナギの状態になっていました。そして経過を見ていましたら、艶々の甲に私の姿まで映るテントウムシになっていました。
幼虫のいかつい装いは、天敵に食べても美味しくないよというサインでしょうか。
次の写真は我が家の車庫に落ちていた枯れ枝?ですが、それにしてはちょっと不自然です。突いてみると「死んだふり」はもう止めたとばかり動き出してしまいました。
言わずと知れた「ナナフシ」ですが、お散歩コースの広島大学の探訪に行った時にも出会っています。ここで会ったが百年目、じっくりと遊んでもらいます。
上の写真では前脚をバンザイして枝が長く見えるようにしていましたが、下の写真のように横に伸ばしても相当な長さがあります。裏返してみましたが、あまり「裏表のない」つくりでした。
草食の大人しい虫で、擬態して隠れるのが最大の防衛手段ですが、いじり過ぎると身の危険を感じて、もう一つの身を守る手段として「自切」という脚を自ら切断する手段に出るそうですので、ほどほどにしておかないといけません。若齡幼虫の時は脱皮で再生するそうですが、成虫になると再生しません。
顔を拝見しますと中央には触覚があり、左右の真横に目がついています。複眼だとは思いますが、目玉が有るように見えてとぼけた顔つきにみえます。
前脚の付け根の部分が細いのは、先ほどの長い枝に見せるバンザイポーズをした時に顔の部分が来るので切り欠いた形になっているようで、自然の必然の造形に感心します。
いつも観察する広島大学の池ではイトトンボの仲間たちが主なターゲットになります。水辺の草の葉に止まっているところを一眼レフの望遠レンズで狙いますが、胴体にピントが合えば翅が合わずで結構苦労します。
赤い小型のトンボは「ベニイトトンボ」と言って水辺の草の葉に止まって撮影に協力的です。環境省の準絶滅危惧指定らしいですが、広島県内ではあまり見かけられないようです。
一匹で止まっている個体とは別に「尾つながり」といって交尾中の2匹繋がりの個体もいました。オスが尻尾でメスの首根っこをつかんで、くっついたまま飛んだり水草の上に止まったりして産卵しているのかなとも思います。トンボの胴体は真っすぐなものと思っていましたが、ここではシャクトリ虫のように曲がっています。
カメムシの仲間
この池の水上ではアメンボが目立つのですが、ズームアップみると、どうやら2匹が折り重なっています。こちらもどうやら交尾をしているようで、小さな体で上に乗りかかっているのが雄で、大きな体の下のがが雌だそうです。
交尾後も、雄は他の雄が近づかないように乗りかかったままで、自分の子孫を残そうとするのだそうです。
別の池で写真を撮っていると、水面に緑色の小さなバッタが落ちたのでレンズを向けた途端、アメンボがやってきて咥え込んでしまいました。
実はアメンボは肉食で、尖った口を獲物の体内に差し込んで消化液を注いで溶けた体組織を吸うそうです。そう思って見るとバッタの子の表情が無念そうにも見えます。
場所を移動する途中、黄色いキノコが生えていましたので検索をかけるとどうも「キタマゴタケ=黄卵茸」という食用キノコだそうですが、よく似たキノコに「タモゴタケモドキ」という猛毒キノコがあるそうで素人には見分けが付きません。
鬱陶しく夏の暑さを引き立ててくれる名脇役が「蝉」です。午前中のお散歩で、近くで蝉の声が聞こえるので木を見上げてどこにいるのか探してみました。位置が確認できたので、たまたま持っていた望遠レンズでズームイン。左2枚はクマゼミ、右1枚はアブラゼミです。
蝉が鳴くのは、オスのみでお腹に空洞があり共鳴させているそうで、求愛の声だそうです。メスの場合はお腹に卵を産む仕組みがあるので鳴かないそうです。
蝉の寿命は1週間とか俗説がありましたが、2週間くらいはざらに生きるそうです。
そんな蝉も幼虫の間は数年の地中生活で過ごした後、木に這い上がって羽化していきますが、木によってはおびただしいセミの抜け殻を見る事ができます。
調べついでで見ていると、セミやサシガメもカメムシ目の仲間なのですが、驚いた事にアメンボまでカメムシの仲間でした。
昆虫以外では
弊社東工場のベランダに大きなコガネグモが巣を張っていて、観察していたのですが、ある日、蜘蛛の姿がなくなり、代わりに白い和紙の袋のような物がありました。 実は和紙の袋みたいなのが蜘蛛の糸で作られた卵嚢と呼ばれるものでこの中で卵から孵って過ごし一度脱皮してから外に出るそうです。
この先は、バルーニングといって風に乗って旅立って行くそうですが、ある日みんないなくなっていましたので、世間の荒波に巣立って行ったようです。
小学生の観察対象としてオタマジャクシは定番ですが、このオタマは丁度後ろ足が出てきたところです。ただその大きさは一緒に写っているアメリカザリガニと比べて巨大です。
多分、ウシガエルのオタマと思いますが、大正年間に食用としてアメリカから導入されたそうです。その餌としてアメリカザリガニも持ち込まれたそうですが、カエルの食用は定着せずに、どちらも野生化して「侵略的外来種」として有難くない存在となってしまったようです。決してご両人が悪いわけではなく人間の都合による勝手な振舞の結果です。
とびしま海道の大崎下島、御手洗に行ってみます。クラゲは一般的にミズクラゲの形を連想しますが、ここではあまり見かけないクラゲがいましたのでパチリしました。
アンドンクラゲといって行灯の形から付いた名前らしいです。電気クラゲと言われ忌み嫌われるカツオノエボシと同様に刺激的なクラゲだそうです。眺めていると右に左に漂って、意思をもって泳いでいるように思えました。
後日、広大のクラゲの専門家の先生のお話を聞く機会が有り、伺ってみましたが、彼らには脳みそが無く意思とかは無いそうです。先生はそんな脳みそのないエチゼンクラゲと漁網や発電所の被害を防ぐために知恵比べをされているそうです。
「角出せ、やり出せ、目玉出せ」と歌にありますカタツムリの出番です。この部分を見ますと触角の先は本当に目玉が有るようですが、映像としては見られないで明るい暗いを感じる位だそうです。陸生の肺を持った巻貝だそうで、貝殻が退化したのがナメクジだそうです。
倉橋島にキャンプに行った折、早朝に漁港を散歩中に堤防の内側を眺めていますと、見慣れない生き物が、口では表現できない動きで泳いでいましたので、下の動画でお確かめください。
どうやらウミウシのようですが、こちらも貝殻がない貝の仲間だそうです。厳密には鰓があったりで生物学上の分類ではややこしくなるので今回はここまでで失礼します。
今回ご紹介したのは、私の何にでも反応してしまう「永遠の小学生目線」で撮りためた中の一部です。生物の生きるために食べる事、その逆に食べられないために身を守ったり、子孫を残す生態などの生存競争を垣間見てきました。
そんな営みを見せてくれるカメラを手にしてから今に至るまで、初心である「好奇心」を失わない事で人生に張りがありますので、手放せそうにありません。
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