しまなみサイクリング入門(15) 番外編 琵琶湖一周で武者修行

 しまなみサイクリング入門と言いながら、ここ最近しまなみ海道の話からちょっと外れていますが、次のステップに進むための下準備としてお読みください。

 古くは輪行で高野山を下り1日に50km走ったのに端を発し、初めてのしまなみサイクリングでは尾道からの朝一番のバスで今治まで行き、日帰りで尾道までの片道分70kmを走り、その次に一泊二日の予定でしまなみ往復に向かい、往路の伯方島で塩ラーメンを食べるために寄り道して1日の走行距離が90kmになりました。

 このように半世紀以上生きてきた割には歳を重ねる毎に1日あたりの走行距離を徐々に伸ばし、当然この先にある「1日100km走行」という数字は意識してしまいます。

 そこで目をつけたのが通称「ビワイチ」とも言われる琵琶湖一周サイクリング。フルに回ると約200kmですが、琵琶湖大橋から北側(通称:北湖)では160kmほどになります。琵琶湖の北端部に少々の勾配区間があるそうですが、全体的には高低差が少ないそうです。

 この北湖を琵琶湖大橋最寄の堅田駅をスタート地点として一泊して一周しようと企み、堅田から反時計回りで100kmほど先になる湖北のマキノでホテルを予約しました。反時計回りだと道路の琵琶湖側を走ることになり、より風景が楽しめるそうです。


いざ旅立つ

 運よく4連休があった2016年10月、地元では西条酒まつりというビッグイベントにちょっと顔を出し、午後より自転車を抱えて計画実行のため駅のホームに立ちます。

 この時の相棒は「ブロンプトン」といって重さは12kgでちょっと重たいですが、「最強の実用車」とも呼ばれる自転車です。停車時はスタンド代わりに後輪をフレーム下に折りたたむと自立しますが、写真で見ると変な乗り物に見えます。

 輪行時に折畳んだ姿が60cm×60cm×30cmの横から見ると正方形に近いシルエットとなり、重さのハンデを跳ね除ける電車内で邪魔にならないお行儀の良い自転車です。内装3段変速ですが、勾配が少ないとの事でこの計画に抜擢しました。

 この10月という時期には「青春18切符」と同様に普通列車乗り放題の効力がある「秋の乗り放題パス」という切符が発売されます。これを3日分使って新たな野望達成を目指しましたが、尾道で途中下車して、酒祭りをパスしてまで行きつけの蕎麦屋さんでひと時を過ごし、この日は神戸まで行ってカプセル泊します。

 翌朝、まだ辺りは暗いうちにチェックアウトしましたが、天気は何と雨模様。京都駅から湖西線に乗り換えて堅田駅に向かいますが、比叡山方向は雲が垂れ下がって前途多難です。


楽勝のはずだったのに

 湖西線の堅田駅で電車を下りて、7時半に自転車を展開します。レインウエアとともにザックにはレインカバーを装備はしていましたが、サドルは革製ですので濡れないようにコンビニ袋を被せておきます。

 一応は小雨模様で走り出し、まずは琵琶湖のウエストが1.35kmとキュッと締まった琵琶湖大橋で湖東に渡ります。 橋を渡ると「ピエリ守山」という大きな商業施設があります。オープン後にライバル店に押され一時テナントが4件まで落ち込み廃墟マニアの間では「明るい廃墟」などと言われていましたが、しぶとく再生への道を歩んでいるようでした。

 ここから湖岸を顔打つ小雨をふり払い心を無にして走りますが、近江八幡辺りで湖岸から内陸に進路が向かいます。この辺りは湿地帯で道路脇には背の高い草が茂っています。それだけなら良いのですがその草が横に大きくなびくほどの風が吹いています。

 勾配がないので来たはずの琵琶湖ですが、小雨のうえに横風・向い風という思わぬ強敵に苦しめられます。漕いでも漕いでも進まないどころか、大袈裟に言えば後ろに押し返される感じです。

 そのうえ、前に進めないこの区間では、名産の近江牛の牛舎が続き芳しくない匂いが。風と牛糞の臭いは私の脳裏にくっきりと刻み込まれるくらい強烈でした。

 内陸側の田園地帯をひた走りますが、目に付くのは田畑ばかりで、建物といえばビニールハウスか農機具倉庫です。コンビニどころか自販機も無いエリアで初めて走るにはちょっと心細かったです。

 そんなエリアを通り抜け徐々に彦根の町に近づいていきます。彦根城といえば元祖ゆるキャラの「ひこにゃん」ですが、ひこにゃんの登城時間の10時半には間に合わず11時の到着となりました。向い風の影響が大きかったといえます。

 下の写真はひこにゃんと写っているようで、実はよくできた看板です。

 彦根城から湖岸道路に戻り、この先の松原という辺りが、琵琶湖の夏の風物詩、「鳥人間コンテスト」のスタート会場のようです。

 米原を経由して12kmほど先の次の目的地、長浜を目指しますが、「さざなみ街道」という穏やかなネーミングとは裏腹に、白い波は岩にぶつかり砕け散り、道端の草が横になびくほどに風は強いし、大変な日に来たなと考えながらペダルを踏み込みます。

 湖面にはウインドサーフィンや、三日月形の凧に引っ張られるカイトサーフィンをやっている人が多いですが、こちらにとって迷惑な風もマリンスポーツをされる方々には恵みの風のようです。


少々観光する

 そういえば朝から何も食べていなかったのでセブンイレブンでお握りを頬張り一休みします。

 遠くに見えていた長浜城がどんどん大きく見えてきだしました。戦国時代末期に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が城主をしている頃の逸話で、秀吉が鷹狩の帰りに寺に立ち寄り、まずは差し出されたぬるめのお茶で喉を潤し、次はちょっと熱め、最後に熱々のお茶でもてなされたという「三献茶」伝説の少年(後の石田光成)との出会いが長浜の地です。

 ようやく長浜城脇を通り過ぎて、長浜駅に着きます。駅の反対側の黒壁スクエアに向かうために踏み切りを渡る手前が旧長浜駅舎と長浜鉄道文化館です。水陸両用車の「びわ湖ダックツアー」も目に入り、誘惑が多いですが、パスして黒壁スクエアの先にある長浜大手通り商店街で一休みです。   ここに来ると、名物の「のっぺいうどん」の 茂美志屋(もみじや)は外せません。若干行列気味でリストに名前を書いて暫く待ちます。30分ほど待ったと思いますが丁度足休めには良かったかもです。壁には無数の名刺や芸能人のサインが貼られていましたが小泉元首相や嵐もやって来ていたようです。

 ようやく席に通されて餡かけに巨大な椎茸をはじめ具沢山の「のっぺいうどん」を注文します。木蓋を開けると褐色の餡の中に茶色い大きな椎茸が鎮座しています。色的に目立たないのですが、箸で持ち上げてかぶり付きます。チラシの写真はちょっと誇大広告気味ですが、それでも肉厚な存在感にインパクト大です。  この商店街には食玩の海洋堂の「海洋堂フィギュアミュージアム黒壁」もあり、以前来たことがあり模型の精緻さには目を見張りましたが、今回は1階部分を見ただけで先を急ぎます。


100km目指してひた走る

 長浜でちょっとだけ観光客をして、湖岸道路を目指して走り出します。風は相変わらず吹いていますが、この先辺りから水辺に鳥の姿が多く見られ、湖北野鳥センターというバードウォッチングできる施設もありました。

 この日の宿まであと残すところ40km程ですが、この先から山間に入り込んで勾配やトンネルの多い琵琶湖一周の最大の難コースになり暫く琵琶湖の風景とはお別れです。10月は日の入りが早いので少々心配になります。
 
 国道8号線に合流して賤ヶ岳(しずがたけ)に差し掛かります。歴史の上では信長亡き後の主導権争いで、羽柴秀吉と柴田勝家との戦いである「賤ヶ岳の戦い」の古戦場として知られています。秀吉はこの戦いに勝って信長の権力と体制の継承者となることを決定づけるのですが、ゆっくりと歴史に浸っている時間はありません。

 この辺りの国道8号線は自動車はトンネルでストレートに抜けられるように改良されているのですが、自転車が走行できる幅が無いので、自転車は旧道のトンネルをクネクネ上り下りしたと思えば、今度は湖岸に戻り入り江を迂回しながらウネウネと走ります。辺鄙なところですが、ここでもウインドサーフィンに興ずる方々が多かったです。

 国道8号線に再度合流し、このまま走ると敦賀方面に行って日本海側に出ますので、途中で国道303号線方面に左折して湖西方向に向かいます。トンネルを一つ越えて、また湖岸に出ますが、半島部分をぐるっと大回りすることになり、最後まで手抜きなく走らせてくれます。

 辺りは徐々に暗くなってきそうで、先を急ぎますが、前方に何やら生き物がいますので手前で距離を取って止まります。慌ててカメラを取り出しますが、どうやら雄猿のようです。

 道路を横切り、木に登ってから電線に飛び移り過ぎ去って行きましたが、不明瞭な写真しか撮れませんでした。とっさの撮影に手間取りましたので、ビッグフットのようなUMAが出ても慌てず撮れるように修練しないといけません。 半島の先端を回り込んで、対岸にやっとマキノの町が見えてきます。その先に本日泊まるホテルの薄緑の屋根が見えますが、湾の部分をひた走る間にどんどん日が暮れてきます。

 マキノ町はニセコやトマムに先駆けて日本で最初のカタカナ表記の町名になった所です。電車乗りにとっては、北陸方面が交流電化だったころは、日に数本しか電車が止まらない近づき難い田舎というイメージでしたが、直流電化になって1時間に1本止まるようになったみたいです。

 辺りが若干暗くなってから、何とかマキノに到着します。今回の宿は「奥琵琶湖マキノグランドパークホテル」といって以前のプリンスホテルです。

 今回のサイクリングは、宿泊サイトでこのホテルのビジネス向けの一泊二食付き破格プランが直前で有ったので、それならばと、ここを基軸にして急遽琵琶湖行きを思いつきました。

 チェックインしてお部屋に荷物を下ろして一息つきます。琵琶湖は見えない部屋ですが、日が暮れて関係ないし、インテリアはログハウス調にしてリゾート感を出しています。 外のプライベートビーチでは栗のような形のテントでグランピングと言って、グラマラス(魅惑的な)+キャンピングの造語の宿泊があるようです。テント室内はベッドルームに準じており、食事のバーベキューセットもホテルで用意と至れり尽くせりのプランの様で、格安の私と対極にあるようです。私の方はプランの夕食をレストランで質素に頂き、あとは疲れを癒します。


2日目、湖北での朝

 そして2日目の朝。プライベートビーチに出ると丁度日の出の瞬間でした。逆光で撮影すると雰囲気が出ます。前日の雨と風に耐えながら、つくづくここに来て良かったと実感します。

 遠目に鳥の群れが日の出を横切る様も感動的です。群れが山側に移って、逆光が弱まったときに撮りますとユリカモメの群れのようでした。 京都の鴨川でもよく見られた小型のカモメですが、どうやら日中は鴨川にいて、比叡山を越えて夜は琵琶湖で過ごすらしいです。

 朝食は7時からで、レストランはまだ準備中ですので、それまでに自転車でマキノ駅方面を見に走ります。別荘地の性格の土地柄ですが、コンビにも2軒ほどあるようで、北陸線直流電化前の昔に思っていた程の田舎ではないみたいです。

 湖岸に戻ると「湖のテラス」というマキノ町のシンボル施設が有ります。上が展望台になっているようですが鍵が掛けてあり残念ながら入れませんでした。

 7時の朝食時間になりますのでホテルに戻り、レストランに向かいます。味噌汁にはナメコ入れ放題で、おかずも琵琶湖の郷土料理が充実しています。

 小エビと大豆を炊き上げた海老豆、近江牛が40%入ったという肉味噌、丁字麩の辛子酢味噌和え、うろりと言う小魚の甘露煮、赤蒟蒻など彩りはちょっと地味ですが滋味に満ちていて、昨夜が質素な夕食だったので一層弾みが付き、近江米ご飯もついお代わりしてしまいます。


堅田駅めざし走り出す

 最高の朝食でエネルギーをチャージして、ゴールの堅田駅に向けて60kmほど走り出しますが、まだ若干、脚に昨日のダメージが残っています。

 マキノ町は広域合併で高島市に編入されていますが、かなり広い市域のようで、長浜市に次いで滋賀県で2番目に広いそうです。この先、30km程は高島市です。

 ついでにデパートの「高島屋」は創業者の義父が高島の出身だったことに因んで付けたそうで勉強になります。

 最初は琵琶湖畔の並木の木陰に沿って快走できます。湖岸を見ますと至る所でオートキャンプをしています。

 近江今津では竹生島から彦根方面にも行ける琵琶湖観光船が出入りする今津港に着きますが、ここの開店前の蕎麦屋さんにサイクリングの大先輩、NHKの「にっぽん縦断 こころ旅」で火野正平さんが立ち寄った写真が貼ってあり勇気を貰います。

 ひたすら平坦と言いながらも、やはり昨日のダメージを引きずりペースが上がらず、その上、昨日の湖東もそうでしたが、コンビニ無い、自販機無い区間が結構多いです。 あっちこっちで見る「飛び出し坊や」ですが、どうやら滋賀県が元祖だそうで、この坊やはイラストレーターのみうらじゅん氏の命名で「飛び出し坊や 0系」という名前があるそうで、ここでも勉強になります。

 湖西線と並行する国道161号線に合流しますが、この先は自転車の事は考えていない車ビュンビュンの危なっかしい区間になりますので、迂回して旧道の高島の街並みを見ながら走ります。古民家を活かし観光するスポットもありそうなのですが先を急ぎます。

 山が迫って来ますので、旧道から再び国道161号線に合流して、しばらくは国道を走ることになりますが、車が勢いよく走って行きます。
 歩道走行が推奨のようですが歩道は右の山側にしかなく、狭いうえに草が茂っているので除けながら走らなければならず、私にとってはここが一番の難所でした。

 しかしこの先に湖西一番の風景と言われる白髭神社湖中大鳥居が見えてきました。まあ、広島県人にはインパクトはちと弱いです。

 危ない国道の右側歩道をひた走り、大津市内に入り自転車ルートは鉄道の湖西線の高架に平行して走ることになります。多少の勾配はありますがグッと走り易くなります。

 マキノのホテルから35kmほど走ったことになりますが、近江舞子駅を過ぎて道端におはぎ屋さんが有り、固形物をそろそろ補充しようかなと立ち寄ります。

 アンコとヨモギ黄な粉を1つずつ頬張りますが、私と同じようにロードレーサーの二人連れも一旦通り過ぎて引き返してきましたので、不思議な引力の有るおはぎ屋さんのようでした。 この先、堅田が近づいてまた国道を肩身の狭い思いをして走りますが、前方に琵琶湖大橋が見えてきました。

 堅田駅では1時間に4本の電車が出ますが、その内1本が毎時39分発の姫路行きの新快速になります。京都駅での乗り換えが不要になりますが、12時39分は間に合いそうにないので、1時39分の新快速に狙いを定めます。

 電車に乗ったら飲食なしで突っ走って帰りますので、腹ごしらえしておきます。そこで目に入ったのが「近江ちゃんぽん」のお店。ここは白濁ではないスープですが、それだったらタダの野菜ラーメンじゃんと思っていたら、途中でお店お薦めの酢を加えるとコクが増してことのほか美味しかったです。

 後はスタート地点の堅田駅に戻り、琵琶湖大橋から北側を1周約160㎞を完走できました。因みにお尻はブルックスの革サドルが意外と好調で痛くなりませんでしたが、膝に若干ダメージが残りました。

 自転車を畳んで電車を乗り継ぎ広島までひたすら戻るのでした。


 しまなみ海道サイクリングと言いながらも番外編として都合4回脇道に逸れてしまいましたが、1日に100㎞、それも雨や風に悩まされながら走り切った事で、またまた妙な自信がついてしまいました。

 レンタサイクルに始まり、自前の自転車で輪行したりして、歳を取るごとに1日の走行距離が延びるという経験を積み重ね、次回から「しまなみ海道サイクリング」に舞台を戻します。

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