しまなみサイクリング入門(13) 番外編 輪行で武者修行

思えば色々輪行したもんだ

 今までの経緯で「しまなみ海道」は相当走り回ってきましたので、前回から横道に逸れて、しまなみ海道サイクリングに漕ぎ出す前段階の事柄を考えています。

 前回の手っ取り早い「レンタサイクル」という手段から、今回は一歩踏み込んだ自転車をパッケージして他の交通機関で運ぶ「輪行」という手段について書いてみます。


 道楽人で遊んでばかりいるように思われそうですが、これでも結構公私とも忙しく、その中で与えられた時間を最大限に紡ぎ合わせてハードに動き回っています。自転車を自走以外の方法で運ぶ「輪行」を行う事は、旅先での時間を有効に使う決め手になりますので多用しています。

 レンタサイクルは持ち歩かなくて良いというメリットがある反面、行楽期などには手続きに時間がかかるケースが有ったり、基本的に借りた所に返却しないといけないという制約が付きます。乗り捨て制度が有っても割増料金が掛かるケースが多いです。

 輪行、とりわけ折り畳み自転車では展開して乗れるようにしたり、収納したりするのは10分は掛かりませんし、行った先の間近な駅から列車に乗れるという自由度の高さが特筆されます。

 そんなことで、今まで広島県から自転車を伴ってどんな所に行っていたのか東から西に向かって紹介してみましょう。


飛行機でひとっ飛び

 まずは東京ですが、折畳めばベビーカー程のサイズになる「CarryMe(キャリーミー)」という9kgを切るちっこい自転車を飛行機で連れて行きました。

CarryME | Pacific Cycles Japan

 空港のカウンターでは「壊れても責任持てませんよ」という内容の誓約書にサインして手荷物としてHND行きのタグと壊れ物の赤いタグを付けられて飛行機に積み込んで広島空港から一気に羽田空港に行ってしまいました。

 羽田から畳んだまま京浜急行で横浜に行って、氷川丸や中華街で観光したり、名の知れた自転車屋さんに立ち寄って勉強したりしました。

 翌日の東京では東京タワーから築地を経て、銀座では広島県のアンテナショップ「TAU」に行ったり、地下鉄を併用しながら表参道から渋谷でハチ公前に行ったり、縦横に機動力を発揮しました。

 この2日で小さな自転車にも関わらず、坂道があまり無い事もあり50kmほど走っていた勘定になりました。


中部・関西は私鉄との連携で行動範囲を広げる

 中部から関西にまたがっては、近鉄、京阪電車、阪急などが網の目のように張り巡らされた私鉄王国です。伊勢神宮、平城京跡、唐招提寺・薬師寺の西ノ京、橿原神宮、明日香村、宇治など歴史探訪するのに折り畳み自転車は強力なタッグと言えるでしょう。

 時刻表と料金に縛られず駅から目的地までのアクセスにはバスより心強い相棒となります。また道中に気になったスポットを発見しても、直ぐに横道に入って立ち寄る事もできる柔軟性もあります。


 京都では何回か自転車を携えて車で行った折には、私鉄の乗り放題切符を併用しつつ腰を据えて縦横に走り回りました。

 西は嵐山から、東は叡山電鉄で輪行して鞍馬から下ったり、印刷のお仕事の勉強になるので京都大学や博物館・美術館など行くのに重宝しました。

 ここでも行楽期の満員のバスを尻目に、時間に縛られることなくフットワーク軽く動き回れます。

 この中でもシルバーの自転車は私が初めて買った折り畳み自転車で、ブリヂストンの「トランジットライト」という車種ですが、輪行の楽しさを最初に味あわせてくれました。購入価格はヤフオクで2万円でおつりが有りましたが、何倍も元がとれました。


 大阪神戸などは坂道を考慮しなくても良いのでコンパクトな変速機の無い自転車を多用しています。

 伊丹空港の千里川の土手での飛行機撮影では、皆さん色々な乗り物で来られているようですが、折り畳み自転車はここでも心強い相棒となります。


 賑やかな町を離れて本格的に走りに行ったのは和歌山の高野山で、南海電鉄の難波駅から極楽橋駅まで行って、ケーブルカーで一気に上がって、山上から麓の橋本まで50kmを走りました。この時の経験が後に「しまなみサイクリング」に行こうかなと考えだした原点となります。


西日本はJRとの連携で各地に足跡を残す

 四国は後に「しまなみ」ではさんざん渡っていますが、岡山寄りでは青春18きっぷを使い山陽本線で岡山へ、ここから宇野港経由で直島に渡り、あの有名な草間弥生さんのカボチャを見て、フェリーで高松に行きうどんを食べてマリンライナーで瀬戸大橋を渡って帰ったりしました。


 九州方面では、山陽本線の下関まで乗換えが楽なのもあって、嵩張りますが、我が家で一番古い30年物の自転車を連れ出し輪行しました。

 下関で九州方面はホームが変わり階段の上り下りもありますが、辿り着いた門司港レトロは古い自転車がマッチしていい気分です。

 九州から本州への戻りは国道トンネルと二階建て構造になっている「関門トンネル人道」で海底を通ります。規則で漕いではいけないので760m押して進みましたが、中央の県境を跨ぐと達成感があります。

 こののち、小泉八雲の怪談「耳なし芳一」の舞台でもあり、壇ノ浦の戦いで幼くして亡くなった安徳天皇を祀る赤間神宮を経て下関駅から帰ったり、そこそこ観光できました。

 別の時には湯布院まで連れて行っていました。この時には古い自転車なのですが9kg台の重さしかありませんので容易に網棚に載せたりしていました。

 由布岳を眺め、金鱗湖に佇み、美味しいものを食べて、アートを見て存分に楽しんでいましたが、良い事ばかりではなく、不運にもブレーキケーブルが1本唐突にプッチン切れて、坂道を無理せず歩いて下る羽目になりました。こうならない為にも定期的な点検・部品交換も怠れません。


 長崎にも足跡を残しましたが、特急天国で普通列車の接続がタイトなので、そんなには滞在時間がとれませんでしたが、ちゃんぽん・皿うどん発祥の店「四海楼」で太麺の皿うどんを食べるという目的は果たせました。


 まとまって時間がもらえた時には、九州の乗り放題切符を使い、お供にはCarryMeを連れて行きました。

 SL人吉で肥薩線を経由して鹿児島に到着後、市内を少々走り回り一泊し、翌日の熊本では地震で崩れる前の熊本城を見たり、熊本県営業部長の「くまモン」さんのオフィスに立ち寄り、部長席にふんぞり返ったりなど、小さな自転車で飛び回りました。また新幹線の予約時間に間に合いそうに無い時は折畳んで市電に乗ったりと、移動方法は変幻自在です。

 門司港で馴染みの角打ち屋さんで旧交を語り二泊目の後、3日目には久大本線を観光列車「ゆふいんの森」で久々の湯布院に向かいました。

 ところが車内の乗客の様子から、以前の湯布院より何だか行列大好きな「ミニ原宿化」みたいな変貌が予想されて「こりゃあ、何だか行っても落ち着かないな」と考え、急遽行先を変更して、Uターンのため大分県の日田駅で途中下車しました。

 折り返し便まで1時間ありますが、高野長英、大村益次郎の学んだ咸宜園や昔の雰囲気を残した豆田町で小観光できたのも自転車の機動力のお陰です。

 「ななつ星」で有名な水戸岡鋭治先生監修の日田駅では特産の木材でオブジェが作られていますが、「I」が抜けているのは、そこに人が立つようになっていて、あなたの「愛」を入れてくださいとのことですが、行く先々で水戸岡ワールドに浸れる旅となりました。 

 Uターンして向かった田主丸駅は「河童の里」として知られ、駅舎も肘をついて横たわった河童の形をしています(アヒルではありません)。

 ここでまた自転車を展開して移動し、若竹屋酒造場という酒蔵と併設の「和くら野」という食事処で、落ち着いた雰囲気のなか、素朴でいながら滋味溢れる料理とお酒で至福のひと時が過ごせます。

 ついでに言えばここで私が手掛けた印刷物に偶然にも数点出会えたり、お土産の酒を発送しようとすると、お店の方の語尾が「けぇ」なので「広島の方?」と聞くと「廿日市から嫁に来ました」とのことで、ざわついていそうな湯布院を蹴ってまで訪れた田主丸で最高の旅の締めくくりができました。

 呑んだ後は自転車を押して駅まで行きますが、ここで初めて相棒の自転車が「お荷物」になってしまいました。


 このように東京から北には自転車を連れて行っていませんが、日本列島の西半分は自転車を伴い結構足跡を印しています。サラリーマンの限られた時間でも、このように多くの観光ができるのも、旅の伴侶の自転車のお陰です。

 ところで、しまなみ海道に関係ないじゃないかと思われる向きがあろうかと思いますが、半世紀以上生きてきたロートルで、もこれだけ行ったり来たりしているうちに1日に自転車で50㎞くらいは走れるという妙な自信がついてきました。

 そして、この距離を徐々に伸ばしていくという「新たなる野望」がムクムクと湧いてくるのでした。

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