唐突ですが昔々、自動車の競争をしていた「 window tribe 」です。
競技大会に参加するには大会の参加要項を取り寄せて、参加費用を添えて参加申し込みをしていました。
その参加要項にはJAFの規定に基づく改造範囲や安全装備についての事柄が書かれており、安全装備の中には、当時は薬剤の充填量が1.4kg以上の「消火器」を搭載・固定することが義務付けられていたのですが、ここからが本題に入ります。
本来が火を消す役割の「消火器」を搭載するのですが、記載されている内容にはミスプリントで胃や腸を表す「消化器」と載っている事が結構見受けられ、そのまま解釈して「1.4kg分の胃液を吹きかけて消火するんじゃ」とかバカな事を言っておりました。
消火器と消化器は、火を消す消火と、生物が摂取した物質を細かく分解して取り込みやすくする消化となりますが、入力時の変換ミスで見落としやすい代表格と言えるでしょう。
このように笑い話で済む分かり易い誤字もあれば、余程の事がないと見抜けない誤字も存在します。印刷物は読者にとって知識を得る重要な選択肢ですので、そこに誤りが有るとウソ字が蔓延する可能性も否定できません。
そのような負のスパイラルを少しでも回避できないかということで今回は、私が仕事で出会った間違えやすい漢字の一端をご紹介します。
多分、今更言われなくても分かってると思われる内容だと思いますが、それでもどっこい仕事柄目につくことが多く、文字の方から私に「訂正してくれよ~」と囁きかけて来ますので、少しばかり文字の代弁者にお付き合いください。
読みは違うが字が似ている
まずこの原稿を書くために職場で「間違え易い漢字を教えて」と聞いたところ、いの一番に出たのが、「萩(はぎ)と荻(おぎ)」でして、地味な所から始まりちょっと意外でした。
どちらも、「くさかんむり」と右の旁(つくり)が「火」なのは同じですが、左の偏が「のぎへん」なのがはぎで、「けものへん」なのがおぎです。
どちらも植物の名前ですが、萩は秋の七草の一つでマメ科ハギ属だそうで夏から秋にかけて濃いピンクの花をつけます。荻はイネ科ススキ属の植物で私のような素人にはススキと混同されるようにそっくりですが、別の植物だそうです。
総合と統合は解釈を語ると長くなりますが意味的には似たような言葉ではあります。傾向からすると総合の方が多数派で、少数派の統合をついつい「総合」と打ち間違えるケースが多いようです。
崇高の崇は宗の上に山がのって「あがめる」という意味合いですが、よく似た字に示の上に出がのった祟という字があります。申すまでもなく「たたる」という意味合いです。この字は誤変換より手書きの時に思い込みで書き間違えやすい字と言えるでしょう。
同じ読みだけど意味が違う
堀と掘は、堀は好まざるものが進入しないように建物などの外に設けられた溝のことで、氏名での使用も多いです。その溝を作る行為が掘削という熟語がある掘と言う字になります。
製作と制作はともに何かを作ることになりますが、すみ分けがあります。
製作は製作所という言葉があるのですが「こしらえる」という意味があるそうで道具や機械などにより作ることを指して言うようです。
これに対して制作は芸術やコンテンツなど人間の才能や想像力によるモノ作りを指して言うようです。
調べていると映画・テレビ業界には製作と制作が同居しているそうで、映像・脚本などのコンテンツ作りは制作ですが、大道具・小道具・衣装から宣伝など裏方さんは製作となりクレジットされているようです。
排と廃はともにイメージ的にネガティブなのですが混用されやすい字といえます。
排は排水、排気、排出など内側にあるものを外側に出す意味合いで使われます。
それに対して廃は廃棄、廃寺、廃物などその対象が「一旦」用をなさなくなった場合に用いられます。
横道に逸れますが、この「一旦」と言いますのも、廃棄物再利用や廃熱回収などエコやリサイクルなどの取り組みで、いらない物が再び活躍出来るという環境面で注目されています。
以前考古学の先生にお話を聞く機会が有り、「遺物とそうでない物の境目はどこですか」と質問したところ、「そのものが必要とされなくなった時から考古学の対象」という意味のお答えを頂きましたので、「廃棄された」と置き換えますと「埋蔵文化財」も好奇心を満たしてくれる最高のリサイクルとも考えられます。
皮と革は二つ引っ付けて皮革とも言ったりしますが、皮は動物の皮膚で毛が有ったり、タンパク質・脂肪などが腐敗したりします。
それを利用するために物理的・化学的に「なめし加工」を行ったものを革というそうです。乱暴ですが英語の「スキン」と「レザー」と言った方が分かり易いかもしれません。ついでながら毛があるものは「毛皮」というようです。
科学と化学は、サイエンスの科学と、ばけ学・ケミストリーの化学も言うまでもないのですが、私どもは官庁や教育機関のお仕事をお手伝いする時、部局・部署名で時折混用されるケースがあるので、注意して見ています。
論文でも結構多いのが伺うと窺うの混用です。伺うは訪問したり意見を聞いたりするケースで用いられます。様子を観察するときに用いるのが窺うですが論文上では「~が窺える。」と文末に入るケースが多いので注意して「見ています」。
「見ています」と書いてしまいましたが、「見る・診る・看る・視る・観る」は仲間が多いです。見るは総合的に使われますが、診るは医療行為などで異変が無いか探る時に使い(診察・診療)、それを受けて看るは対象になる病人なり収容者をかわりが無いか見る事(看護・看守)と言えるでしょう。また視るは対象を注意深く見ること(注視・正視)、それに対して観るは和やかな気持ちで見ること(観光・観劇・観賞)とも言えると思います。
同様に、計る・図る・諮る・測る・量る・謀るや、打つ・撃つ・討つなどの混用もみうけられます。
人名は要注意
我々の仕事でも誤字を防ぎきれず印刷物になってしまうことは残念ながらあるのですが、消火器/消化器のように読む側では失笑で済むケースもありますが、「人名」の間違いはそのまま看過される事なく、刷り直し、シール対応、正誤表などで正す必要が有り、そうなる前に早い段階での注意が必要であると言えます。
一般的に知られている人名で漢字のバリエーションが多いのが渡辺のナベ「 辺/邊/邉/部」と浜田のハマ 「浜/濱/濵」です。
特に渡辺のナベの「しんにょう」に点が一つのものと二つのもの、つくりの上部の「白」が横棒が1本多い「自」になっていたり、「ワかんむり」と縦線が繋がっていたりバリエーションが多く印刷屋泣かせです。
調べていると明治期に本家と分家を区別するために字を変えたという説もあるようですが、私は以前仕事で明治期の卒業生名簿の実物を拝見する機会に恵まれたのですが、パソコン・ワープロなど無い時代ですので当然「筆書き」です。卒業名簿ですので同じエリアの住民の名前が数十年にわたって書かれていますが、年が変わると筆跡が変わり書き手が交代したことが分かりますが、同じ読みの姓でも書き方が違っている事に気づきました。学校以外でも役場の戸籍も同様だと想像できます。
同じ字でもバリエーションが多いのは、はは~ん、そういう事だったのかと、名簿の書き手の癖が後世に影響しているんだと強く感じました。
一国の総理のアベ姓も、安倍、安部、阿部、阿倍と組み合わせがあります。歴史的に有名なのは総理と同じ文字で陰陽師の安倍晴明と遣唐使で唐に渡り向こうで名を遺した阿倍仲麻呂、俳優は阿部寛、安部姓は私の乏しい知識では出て来ませんが鳥取県に安部駅があります。
見分けにくいというか、違っているのに気づかない姓が菊池と菊地です。私の出てくる有名人名では菊池寛、菊池桃子、菊池涼介、菊池雄星など池のほうが多いようです。一説によると地の方が東日本に多く、池の方が西日本に多いそうですが、有名人が多いとは言っても確認を怠らない事が肝要です。
書き終わった後にも「使用と仕様」「日と曰く」「季と李」とかどんどん思い浮かんで枚挙にいとまがありません。
私自身、失敗のデパートですが、そのお陰様で多くの事を学ばせて頂きました。しかしながら私どもの仕事で「誤字」は恥ずべき事で、失笑・嘲笑は言うに及ばず、発注者様の品格を傷つける事の無いように研鑽しております・・・とはいえ、変換ボタンを押すと勝手に文字が出てくるご時世ですが、事後の確認は人間の仕事ですので怠りなくせねばなりません。それが「推敲(すいこう)」です。
以下に関連記事を続けましたのでお暇がございましたらご覧ください。
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