このシリーズは、第2回の「富裕層」のところで書いた客船「ガンツウ」が中尾彬夫妻と山田孝之出演の缶コーヒー、ジョージアの懸賞CMで流れて、我ながら見る目が有ったかなとほくそ笑みながらも、早いもので今回で7回目となりました。
尾道を語るには様々な切り口があって退屈しないのですが、今回は過去に尾道の古きをうろうろと訪ね歩き、とりわけ建物に関する事柄の思い出話でもしてみたいと思います。(行った時期がバラバラの話をつなぎ合わせますので、当時は有っても今は様変わりしているかもしれませんので悪しからず)
迎賓館に招かれた⁇
いきなり迎賓館に招かれたという物騒な書き出しですが、まあ、私くらいになると、これは本当の話・・・です。
歯切れが悪いのは話せば長くなるのですが、尾道での観光は尾道駅から東側のエリアが中心で、駅から西側の観光は港湾倉庫を改装した「ONOMICHI U2」辺りまでのケースが多いようです。
私の場合は徒歩でなく自転車での移動が多いのでちょっと海沿いを西に足を伸ばしますと広島県の合同庁舎があるのですが、この前には蒸気機関車D51(俗に言うデゴイチです)が静態保存されています。交通系の公園などでしたら往々にして子供たちに占拠されて近づき難かったりするのですが、色気の無いお役所の前にひっそりと佇んでいて、誰にはばかる事無く触り放題、乗り放題、見放題で童心に帰って独り占めできました。 D51をつぶさに観察した後、ここから山陽本線の北側に向かい、国道184号線沿いの河川の対岸を進んでいますと由緒ある旅館か料亭のような建物が目に入ります。近づいてみますと「尾道迎賓館」の看板があります。迎賓館と言えば赤坂の迎賓館を思い浮かべますが、因みに迎えられる「賓客」と言う言葉は「うやまうべき客人」という意味だそうです。 恐る恐る玄関先に近づきますと、文化庁の登録有形文化財のプレートがあり、それなりの格式のある建物だと分かります。
玄関先で写真を撮ってから、立ち去ろうとしていると中から管理委託されているボランティアらしきおじさんが出てきて呼び止められます。「何処から来ちゃったん?」と言いながら説明する気満々で逃げられそうにありませんので、「招かれるままに迎え入れられて」内部を見せて頂きます。 昭和初期の粋を凝らした日本家屋の趣ですが「田萬」という海産物問屋の邸宅として建築され、その後旅館として使われていたそうです。2003年に尾道市に寄贈され、文化庁に有形文化財として登録されたそうで、会議や来賓の休憩・接待、文化活動の研修、尾道大学のセミナーハウスとして使われるそうです。この日は大広間で因島出身の本因坊秀策を目指し、子供囲碁教室が開催されていました。
ディープな尾道
そんなこんなで、本当に迎賓館に招かれた・・・訳ですが、ここから国道184号を横切った向かい側にはエディオンやイオンがあって、その裏手に行くと千光寺山の東麓になります。このあたりは結構ディープな一画です。
この辺りで目立つのは「ひめじや」さんというお店です。探す必要が無く、向こうから視界に入ってきます。一見〇〇屋敷と思える色あせた縫ぐるみや針金で連結されたおびただしいペットボトルのキャップに目を奪われます。しかしながらここの店主はアートに心得のある方だそうで、芸術の一環として作られたそうです。多分これからも見る人が考え込むような未完の抽象性は進化し続けると思いますので、私の中では「尾道のサグラダファミリア」として位置付けておきます。
ここを山側に行った狭い路地の先に秘境のような緑に覆われた一画があり、奥の方に見えるのが銭湯の暖簾です。「寿湯」という銭湯で行った当時は80ウン才のご主人が、使命感と意地でやっておられる感じで4時から8時までの4時間のみの営業でした。 この時は丁度開店直後で誰も居ないので許しを得て写真は撮り放題でした。 多くの部分が80年前の部材が残っている値打物で、ロッカーにも年季が入っていて鍵を閉めるのも一癖あります。その扉の中の色あせた広告の貼紙が歴史の証人となっています。
この時はお話を伺っている最中に冷蔵庫からフルーツヨーグルトを振舞って頂きましたが、今もご健在かは最近行けていません。
尾道古民家再生プロジェクト物件
「寿湯」さんから海側に少し行って山肌の路地を少し登ると鋭角的な古民家があります。「旧和泉家別邸」と言うのですが通称の「ガウディーハウス」のほうが有名です。
先ほどの私が命名したカラフルな「尾道のサグラダファミリア」と対照的な佇まいです。昭和初期の建築だそうですが当時の和と洋を折衷した技法が用いられているそうです。ここは現在、再生工事が入っているのですが、それを手掛けているのが「NPO法人 尾道古民家再生プロジェクト」だそうです。私が語っても舌足らずですのでリンクを貼っておきます。
尾道の至る所に再生物件がありますが、この近くではガウディーハウスを下ってちょっと入ったところのとんがり屋根が特徴の「北村洋品店」とその奥の「三軒家アパートメント」も注目物件で、アパートメントはカフェ、古物屋、工芸品店などのテナントが入って息づいています。 場所は離れますがアーケード街の中には嫌が上でも目立つパンダの乗り物が目を引くゲストハウス「あなごのねどこ」も再生物件で、併設の「あくびカフェー」は小学校がテーマで給食メニューもあったりするようですが、残念ながら未だ実食には至っていません。
まだまだ有ります、気になる物件
気にはなるけど、意外とそのまま無関心にされている建物が、尾道駅の裏手の千光寺山を見上げると見える「尾道城」です。実際のお城ではなく観光事業の一環として「全国城の博物館」として弘前城を模した外観で昭和39年に建てられたそうです。今では立派な外観ながら廃墟扱いですが、当時の門番さんは色あせても周囲に目を凝らしているようです。
尾道駅を出て横断歩道を海側に渡って左に歩むと「シネマ尾道」という映画館が有ります。尾道と言えば映画の町ともいわれるのですが、2001年に皮肉なことに映画館空白地帯となり、NPO有志の力で尾道松竹のあった建物に再開された映画館です。
尾道と言えば三部作で有名な大林宣彦監督ですが、ここも監督のアドバイスが入っているそうです。私は「野のなななのか」という非常に読みにくいタイトルの上映の時に監督のトークを聞く機会があり、サインも頂きましたが、普通は写真NGが多い世相に反して、SNSなどで拡散OKと柔軟に時代に対応されていました。
下の写真は向島の渡船前にある新三部作の「あした」のロケセットです。
「迎賓館」から始まりましたので締めくくりもちょっと格調高く行ってみます。尾道の繁華街や歓楽街の新開を東に通り抜けた辺りに由緒正そうな門構えが見えるのですが、爽籟軒(そうらいけん)という江戸時代の豪商の別荘になります。ここの手入れをされた日本庭園の中に「明喜庵(みょうきあん)」という茶室が佇んでいます。
お茶と言えば千利休を思い浮かべますが、京都と大阪の間のサントリーの蒸留所で有名な山崎の駅の近くの妙喜庵というお寺の中に現存する中で唯一千利休の作ではないかと言われる茶室、国宝「待庵」があります。妙喜庵は行った事があるのですが、1ヶ月以上前に往復はがきで申し込んで、その他にもしきたりがあり簡単に見ることが出来ないのですごすごと引き返した思い出があります。
前ふりが長くなりましたが、「明喜庵」は読みは同じですが妙喜庵より名をとった茶室で、国宝「待庵」の写しといわれる貴重な文化財です。100円の入場料で気軽に入る事ができ、侘び寂びや、お茶の世界観、建物の設えなど何となく分かった気にさせてもらえます。ただし夏場は長居は無用で蚊に狙われますので用心を。
尾道の「古い」物件を書き並べましたが、忘れてはならないのがお寺や神社です。これを書き出しますと相当長くなりますので、また次の機会にでも。
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