玉取祭を見に行きました。

玉取祭の歴史

 昔は「延年祭(えんねんさい)」と言われていました。

 今から400年前に御室仁和寺の任助(にんじょ)法親王が、別当寺大聖院に滞在された時に仁和寺の「延年の舞」を移したのが始まりだと言われています。

 当時は厳島神社の拝殿で吊るされた台に福神像を乗せて「延年坊主(えんねんぼうず)」の儀式を行ない、その後、延年の舞(年を延ばすというお祝いの行事)を客(まろうど)神社の祓殿で、僧侶達により儀式と祭典を行なっていました。

 儀式が終了すると、若者達が台上の福神像を奪い合ったそうです。

 明治維新の廃仏毀釈の際、この延年祭も廃絶されましたが、明治12年に氏子有志の手により復活されました。その際福神像の奪い合いから宝珠の奪い合いに姿を変え「玉取祭」と言われるようになりました。僧侶によって執り行われた延年舞などの祭典はなくなりました。

 現代は、厳島神社火焼前(ひたさき)の海に櫓を組み、1m四方の台が世話係によって、上下に動く仕組みなっています。

 本殿の祭典後に樟(くす)で作られた直径21㎝の宝珠(ほうじゅ)を台に載せられます。

 町内の若者達がいっせいに海に飛び込み、肩車などを組み上下に揺れる台に飛びつきます。そのうち台に飛び乗る者があらわれ宝珠を海に落とすと、今度は海中での争奪戦が始まります。最後に宝珠を手にした若者が注進所(3ヶ所)に宝珠が投げ入れると、本殿の太鼓が鳴り玉取祭は終了します。

 宝珠の落とし主と取り主は、幸運が約束されるといわれています。

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 今年は、8月20日(土)(旧暦7月18日 現在は旧暦に近い土日)に行われた玉取祭(たまとりさい)を見に行きました。

 祭りの前に宮島太鼓の演奏を行われたり、祭の説明文のチラシの配布がありました。

 何回か見に行った事がありますが、これまでで一番の満潮でした。

 参加者の一人が、言い方は忘れましたが、満潮でやぐらを組めないと言っていました。

 満潮のせいか宝珠を乗せた台はいつもより下で上下に動かしていましたが、ジャンプだけでは台にたどりつけず、最後は肩車をして何回か挑戦してやっと台の上に登れました。

 落とし主が宝珠を海に落とした後に注進所に届ける為に宝珠の争奪戦をおこないますが、神社の方向に向かってみんなでパスをしながら行ってしまいました。

 前回の時は宝珠の争奪戦が凄かったです。
 今回はアットホームに終わりました。

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