どうも、よっさんです。
今月早々、何年かぶりに発熱(風邪?)で欠勤してしまいました。今年の風邪は、社内でもちらほら見かけますが、前触れもなく発症するパターンが多いように感じます。私も、うつされた覚えもなければ風邪らしい兆候もなかったのに、いきなりノックアウトされました。皆さん、くれぐれもご用心ください。
さて、先日、月一のペースで文通を交わしている東京の親戚から手紙が届きました。今回の手紙の主な内容は、おかしい日本語が増えている、というものでした。読書中だという『明治天皇』の著者 ドナルド・キーンの日本語の美しさに感心した後、次のように続きます(以下要点のみ)。
・著名な作家(複数)が「亡くなった父」などと書いている
・ある大御所作家が「とんでもございません」という表現を使っていた
・ある芸人が「皆さんそういうお料理をいただくんですか?」と言ったり、アナウンサーが「皆さん、いただいてください」と言っているのを聞いてびっくりした
さあ、あなたはどこが日本語として“おかしい”か、わかりましたか?
ニシキプリントで文書校正を牛耳る…もとい、よく頼られるよっさんですが、どこがおかしいの?と思ったものもありました。これではうるさく文書のダメ出しもできない…というわけで、ちょいと調べてみました。
身内が「亡くなる」?
親戚は、学生時代に「自分の身内に亡くなるという言葉を使ってはいけない」と教わったとのことで、父という身内に対して使われたこの言葉が気になったようです。
確かに、「亡くなる」は「死ぬ」の尊敬語だから身内には使わない とされていたこともありました。しかし最近は、「亡くなる」は人が「死ぬ」ことの婉曲表現で、尊敬語などの敬語ではないとする意見が多数派です。「死ぬ」という表現が乱暴で生々しいので、死ぬことに対する丁寧な言い方である「亡くなる」を使うことは、身内であっても問題ないと考える人が今は主流のようです。
ただ、「亡くなる」が「死ぬ」の尊敬語という考えから身内に対して使うことに違和感がある人が少なからずいることを理解した上で、「息を引き取りました」「他界しました」「永眠いたしました」という言い方があることを知っておくのもいいかもしれません。
「とんでもございません」?
「とんでもない」は1つの形容詞なので、「ない」だけを切り離して「ございません」に置き換えるのは文法的に間違いです。よく考えれば当たり前で、「危ない」を「危ございません」なんて言いませんよね。この場合、正解は「とんでもないことでございます」です。(ちなみに、親戚が指摘した「大御所作家」も、いつからかこちらの表現を使っているとか…そこまで把握していることに脱帽です。)
しかし!2007年に文化庁が答申した「敬語の指針」では
「とんでもございません」は、相手からの褒めや賞賛などを軽く打ち消すときの表現であり、現在ではこうした状況で使うことは問題がないと考えられる
とあり、もともとは間違った日本語の「とんでもございません」も、現在では正しい日本語として政府から認められているのです。文法的に間違っているのにOKとは個人的にしっくりきませんが…(と言いつつ、はじめは「とんでもございません」に違和感を感じなかったよっさんです)。
「いただいてください」?
「いただく」は「食べる」の謙譲語、つまり、自分の行動について使う敬語表現なので、相手に食事などをすすめるときに使うのは間違いです。「食べる」の尊敬語は「召し上がる」なので、正解は「召し上がってください」です。(「お食べになる」「食べられる」もそれぞれ「食べる」の尊敬語ではありますが、「召し上がる」が最も丁寧な印象を与える表現だとされています。)
2014年の文化庁「国語に関する世論調査」では、「いただいてください」を「気になる」と答えた人は74.7%でした。まだ多くの人が違和感を抱く表現と言えます。
また、自分が「食べる」ことを丁寧に表現するために「いただく」を使う例もあります(「夏は京都で精進料理をいただくのが楽しみなんです」など)。これはグルメ雑誌などから始まり徐々に広まってきた使い方のようですが、間違いではないかと指摘する声も多く定着した表現とは言えません。あらたまった場面では使わない方が無難なようです。
言葉はいきものであり、時代とともに意味や用法が移り変わっていくのは千年以上続く日本語の自然な流れです。古くは清少納言が作者とされる『枕草子』にも、若者の言葉の乱れを嘆く一節があるそうで…。
今回取り上げた言葉を含め、その表現が国語学的や文法的に正しいかどうかという議論とは別に、相手に不快感を抱かせない配慮こそが言葉の「正しさ」ではないでしょうか(←いや、知らなかった自分を正当化するわけでは……)。
今後も折に触れ、私のわかる範囲で言葉の使い方について取り上げていきます。お楽しみに。
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