くわわの仕事(版下からDTPへの変遷をちょこっと書いてみました)

こんにちは、くわわです。
広島県も梅雨明けを迎え、いよいよ夏本番の暑い日々がやってきましたね。
日焼けや熱中症対策を万全に整えて、楽しい夏を過ごしましょう!

今日は私の仕事について話してみようと思います。

私はDTP課に所属しております。
DTPについては少し前にaiさんが説明してくれたのでここでは省略させてもらいます。)

私がこの会社に入った頃、DTPという言葉はありませんでした。(あったかもしれませんが少なくとも社内ではまだ使われていませんでした)
入社してすぐに配属されたのは版下という部署でした。

版下というのは、その名の通り、印刷をする元となる版を作る部署です。
現在のようにデジタルですべてまかなうようになるまでは、ほとんどアナログの世界でした。
先方からいただいた原稿や、写植をそのまま、もしくはコピーや紙焼きなどをしてテープや糊で貼り付け、その上にロットリングという極細のペンで線や模様、時にはイラストなどを書き、スクリーントーンを切り貼りしたり表面を削ったりしてました(←漫画家みたいですね)。
手先の器用さが求められる、まさに職人気質の仕事でした。元来おおざっぱでがさつな私でしたが、ここでかなり手先と根気を鍛えられました。

ロットリングというのは一定の太さで線を引くことの出来る製図用ペンで、よく使ったのは0.1ミリの太さのものです。極細なのでインクがつまって書けなくなってしまうことがしょっちゅうあり、定期的に分解して洗浄しなくてはなりませんでした。また、洗浄したものをもとに戻す段階で、針の穴に糸を通すような手先の器用さを求められる行程があり、わたしはこの段階でよく失敗し、部品を駄目にしてしまったことが何回もありました(涙)。

 ↑これがロットリングです

版下には必ずトンボというものがあります。断裁する場所を決めるもので、とても重要なものです。
大抵印刷物はA判やB判など決まったサイズで作られるので版下の部署にはあらかじめ各サイズのトンボ台紙が準備されていました。ですが表紙というものは、その本のページ数や使う紙の種類によって背の部分の厚さが変わり、それによって規正のサイズとは異なっていくので、その場合トンボを新たに作成しなくてはなりません。そこでレイアウト用紙などにロットリングでトンボを書くというのも版下の仕事でした。

↑今なら簡単♪…なのですが…

定期ものの仕事などで、前回と同じ版下を使用するけれどサイズが少し変わるなんて時は、去年書いたトンボをホワイト修正液で消し、その上にロットリングで書き足していきます。だから年季の入った版下は何度も何度も修正されているので横から見るとその部分だけがどんどん盛り上がっていきます。それらの中には時を経て風格すら感じさせるものもありましたが、作業する側からしてみれば、でこぼこでまあ書きにくいったらありゃしませんでした。
トンボの作成なんて今なら一瞬で出来るものですが、当時はそういった作業でもある程度の時間がかかるのが当たり前の世界でした。

私も初めのころはそうやってトンボから貼り込みまですべて手作業でやっておりましたが、DTPの普及により少しずつ職人技を求める作業量が減ってゆき、そのうちとうとう版下という部署もなくなってしまい、私は残念ながら版下の技を極めたという実感もないまま卒業となりました。

時はうつりかわって現在、かつてカッターとペンを持っていた私の手も遅ればせながらキーボードを叩きマウスを持つようになりました。
作業量としては、版下として働いていた頃よりも工程が増え、覚えなくてはならないことも多くありますが、作業全体にかかる時間というものが圧倒的に減り、繁忙期以外は毎日定時で帰宅できるようになりました。(←昔では考えられなかったことです)
デザインソフトの向上により、いままで出来なかったことがどんどん可能になってゆき、また、アイデア次第でいろいろな表現ができるようになりました。
私はまだまだ勉強中で、頭の中のイメージを形にする技術をまだまだ会得してはいませんが、まわりの人たちはどんどん前を進み、私に刺激を与えてくれています。

ただ最近、自らを省みてみると、効率化のことばかり考えがちで、目先のこと…いかに早くやるか、いかにミスをせずに終えられるかということにばかり重きを置いてしまっているのが現状です。まだまだ自分の仕事に自信がないということの現れでしょう。
仕事の中でいい意味での『遊び』がなくなってしまっているのかもしれません。

こうしたらもっと良くなる。おもしろくなる。そういった視点ではなく、こうしなければ面倒になる、時間がかかってしまう。という視点で仕事を進めてしまっている自分がいます。守りに入ってしまっています。
もちろん時短や効率化は常に頭に入れておかなくてはならない課題ですが、それだけではいい仕事ができたとは言えません。
やるべきことはきっちりこなした上で、そこにプラスアルファをどう増やしていくかが今後の課題です。

私が考えているプラスアルファの中身は、デザイン力や技術力など、まだまだ私に足りないものが大半を占めていますが、版下時代に培った根気(これだけですか…)を武器に、日々あちこちでアンテナを張り、一歩ずつでも前に進めるように日々研鑽していこうと思います。

コメント

  1. 飯田☆織です(^_^;) より:

    始めまして!
    懐かしいですねー!
    切り貼りなんて!

    私がいた印刷屋は一階が印刷機が回っている男の職人の世界、二階が版下作っている女性が多い世界でした(^_^;)
    上と下とは水と油でした。下では石原裕次郎や小林旭が、上ではモーツァルトやカーペンターズが流れていました!

    上の版下を下で刷って、そして、製本屋にもっていくんですが、下は愛読書が週刊誌やスポーツ紙、上は新潮文庫や中公文庫の外国文学でした。下の人はレバ刺し好きで私とは合わなかったので上の人と一緒にエビドリア食べに食事しました。

    まもなく二階に派手な格好の意地悪な女性がやってきて社内を引っ掻き回して追い出されました(^_^;)

    そしてDTPが出てきて、いわゆる切り貼りの時代は終焉を迎えてしまいました(^_^;)
    しかし切り貼りの時代はあの時代の良さってあったのでは…と思います。

    私は版下切り貼りしているよりも、お店でお客さん相手にしていた方が性に合っていましたね(^_^;)

    • kuwawa より:

      はじめまして、飯田様。
      コメントありがとうございます。
      6年も前の記事なのに見てくださる方がおられ、しかもコメントまでいただけたことに感激しております。
      印刷業界には色々な職場があり、その一つひとつにドラマがあるんですね。
      弊社も十年前までは本社一階に印刷機や製本の機械があり、二階にいる私の作業場にまで活気が伝わってくるほどの職人の世界が広がっておりました。
      石原裕次郎や小林旭は流れておりませんでしたが、豪快なくしゃみがよく聞こえてきたのをたまに思い出します。
      飯田様は、今は印刷業界から離れておられるようですが、これからもたまに弊社のブログを見ていただき、この業界の行く末を見守っていただければ幸いです。