読書のオススメ4 -『紅楼夢』-

シンです。
季節は晩秋、街に出ればクリスマス色一色。年の終わりに向けてだんだん慌しくなって来て、落ち着いて読書をする時候でもなくなってしまいましたが、気がついてみれば本の紹介を一番最初に始めて一番最後までやることになってしまいそうです。

さて、前回も書いたとおり、私は日本の時代小説とともに海外の古典も好きなのですが、今回ご紹介するのは中国の「五大小説」の一つである『紅楼夢(こうろうむ)』です。中国の五大小説とは、『三国志演義(えんぎ)』、『西遊記』、『水滸伝(すいこでん)』、『金瓶梅(きんぺいばい)』、『紅楼夢』を指します。特に『紅楼夢』以外の四作品は古くから「四大奇書」(この場合の「奇」とは「すばらしい」の意。)と呼ばれて有名でしたが、『紅楼夢』が登場すると、これを合わせて五大小説と呼ばれるようになりました。それほど『紅楼夢』は高く評価され、中国の長編小説の金字塔と賞賛され、これを超える中国の長編小説はまだ出ていないとまで評されています。

ただ、残念なことに、『紅楼夢』の知名度は、他の四作品と比べ日本では恐ろしく低いのが実情です。中には、日本には『源氏物語』があるので『紅楼夢』は人気がないのだという人もいます。確かに、美貌の貴公子をめぐる多数の美女との恋物語という一側面から見れば両者に似たところはあるかも知れませんが、やはり一番の原因は、原著が長編でとっつきにくいということが一番大きいと思います。かく言う私も、実はまだ完訳本は読んでいる途中で、ようやく抄訳本を読んだに過ぎないのですが、登場人物が多いこともあり、なかなか読み難い部分はあります。

作者について

作者は曹雪斤(そうせつきん)という人で、十八世紀中頃、中国の清の時代に『紅楼夢』を書いたとされています。実は、先ほど述べた「5大小説」の中で、少なくとも作者がはっきりと確定されているのは『紅楼夢』だけで、残りの四作品の作者は不明または不確定です。

彼はもともと裕福な貴族である曹家(そうけ)の出でしたが、幼少の頃、曹家が公金使い込みのかどで全財産を没収され、華麗な生活から一朝にして貧窮のどん底に突き落とされるという悲運に見舞われます。それ以降、彼は無位無官で貧しい生活の中で、曹家の繁栄と没落の過程に思いをはせながら、生涯かけて『紅楼夢』を書いたといいます。

実際『紅楼夢』は賈(か)家という大貴族の家系を中心に展開しますが、これは曹家をモデルにしたものでしょう。とは言っても、『紅楼夢』が曹雪斤の自伝的な小説というわけではなく、『紅楼夢』の物語世界は推敲に推敲を重ねて綿密に構築されたものであることは間違いないようです。

物語の特徴

『紅楼夢』は実は未完の作品です。全120回(「回」は一般の小説の「章」にあたる)のうち、曹雪斤の手になるとされているものは80回までで、残りの40回は高鶚(こうがく)という人物による作とされています。曹雪斤は80回を書いたところで亡くなってしまいますが、幸いそれまでの物語の中にその先の物語の結末を暗示するような伏線をあちこちに散りばめていたので、高鶚はそれをもとに残りの40回を想像して書いたということです。こうして物語は一応の完結を見ましたが、雪斤の書いた80回と高鶚の書いた40回にはやはり、推敲の回数の差とでもいうのか、歴然とした隔たりがあるのも事実です。

物語の概要

『紅楼夢』は最初に一つの石をめぐる因縁の話から始まります。中国の神話で、ある女神が天のほころびを繕うため、三万六千五百一個の石を鍛え、三万六千五百個の石を使ってほころびを直し、残りの一個は使わずに捨てておいたところ、その石は霊性を持ち、自分だけが役に立たずに捨てられたことを嘆き悲しんでいました。そこへある日、見るからに徳の高そうな二人連れの仙人が通りかかります。二人の下界の栄華栄達の話を聞くうちに、自分も下界に降りて人間世界の栄華をこの目で見てみたいと強く願うようになり、二人に声をかけて願い出ます。初めは相手にしなかった仙人でしたが、石があまり熱心に頼むのでついには根負けして石の望みをかなえてやることにします。石はきれいな小さな宝玉に姿を変え、賈家に男の子がその宝玉を口にくわえて生まれてくることになります。これがこの物語の主人公である賈宝玉(かほうぎょく)です。

この賈宝玉、勉強もろくにせずに自分の侍女や姉妹と遊んでばかりいる始末。極めつけは、「女の子は清潔で水でできている。男は汚らしく泥でできている。」と言ってはばからない少女崇拝者なのでした。そこへ親戚筋から母親を亡くして賈家に身を寄せることになった林黛玉(りんたいぎょく)という薄幸の美少女がやってきて幼い頃から一緒に育つうちに相思相愛の仲になります。

しかし、成長するにつれ、二人の間には些細なことでのいさかいも起こるようになります。原因は林黛玉がきわめて狭量な性格な持ち主で、少しでも勘に障ることがあると、気が置けない宝玉に対してありのままに激情をぶつけてしまうからです。そうこうするうちにもう一人の主役、薛宝釵(せつほうさ)という美少女が賈家にやってきます。彼女は林黛玉とは正反対に誰とでもうまく折り合いをつけて行くような温和な性格で、物語は主としてこの三人を中心に展開して行くことになります。

物語の見所

『紅楼夢』を読み始めて最初の二回ぐらいは難解であまり面白くないという感じを持つ人が多いようです。しかしそれを我慢して読み進んで行くにつれて引き込まれてしまう魅力が確かにあります。「紅迷」(中国語で「ホンミー」と読みます。いわゆる「紅楼夢マニア」のこと。)という言葉ができるほど中国では熱狂的な読者がいます。かの毛沢東も『紅楼夢』を肌身離さず持ち歩いて愛読したとか。中国人からすると、『紅楼夢』は古典であるにもかかわらず、読むのに特別な古典の知識は必要としないそうです。これは私たち日本人が『源氏物語』を古典の注釈や現代語への翻訳なしにはほとんど理解できないのとは全く事情が異なっています。それだけ中国人にとってきわめて身近な古典小説なのでしょう。

見所は、何といっても、賈家を中心とする様々な人と人とのせめぎあいから、色々な騒動が起こることです。それは賈家の家族やその親戚の人同士であることもあれば、主人と使用人の間で起こることもあります。賈家ほどの大貴族ともなると、侍女といえども普通の家の娘よりも地位は上に置かれ、宝玉の侍女も宝玉に言われるまま従うばかりではなく、時には主人である宝玉と対等以上にやりあうような場面も多く見られます。もっとも、それは宝玉があまりにだらしないから、ということもあるのでしょうが。

本の入手方法

前回ご紹介した『半七捕物帖』は青空文庫で無料で読むことができ、本の入手も容易でしたが、この『紅楼夢』に関しては残念ながら完訳はいずれも入手が困難な状況です。

一つ目は、平凡社からは伊藤漱平氏の訳による全訳が平凡社ライブラリーとして出版されており、全十二巻。現在ある全訳の中では発行年が最も新しく、入手もし易いはずですが、大手オンラインショップのAMAZONで調べても、12巻全巻が揃って出ていないような気がします。それと1冊あたりの値段が約1,500円ほどと高額なのも手が出しにくい気がします。訳はやや文語調だそうです。

二つ目は、岩波文庫から出ている松枝茂夫氏による訳で、全12巻。こちらは1冊700円前後と先ほどのものに比べると手が出しやすい値段ですが、問題は現在版元の在庫切れで入手が難しくなっているということです。しかし、版元在庫切れとは言え、AMAZONのマーケットプレイスなどで中古を探すと、どうにか全巻集められそうな感じではあります。
私もこの方法でかき集めて、今第四巻目を読んでいるところです。思えば、私が最初に読んだ抄訳版もこの松枝氏によるもので、私にとってはこれがぴったりくる気がしています。

三つ目は、集英社から出ている飯塚朗氏訳のもの。全3巻。これは世界文学全集の中に収められているもので、先の二つの訳とは元の本が違うので、訳が異なる部分があるそうです。これは極めて入手が困難で、時折オークション等で見かけますが、全巻揃っていることは稀です。しかし、全集なので、ひょっとすると図書館などには置いてあることもあるかと思い、紹介した次第です。

完訳は以上ですが、最後に抄訳で入手しやすいものを紹介しておきます。
第三書館出版の佐藤亮一訳『ザ・紅楼夢 全一冊』です。この出版社、和洋問わず、様々な古典を一巻本として出版していることで有名です。お値段も約1,900円で大変お得と言えるでしょう。AMAZONでも在庫はあるようです。訳については未見なので何とも言えませんが、値段的に一番とっつきやすい感じはします。

最後に

ところで、『紅楼夢』の冒頭に登場したあの石はどうなったのでしょう。宝玉とともに現世に生まれ、賈宝玉を守護し、時には霊性を失ったり、賈宝玉の元から姿を消したり(そのとき賈宝玉はまったくの腑抜け状態になってしまいました。)したものの、最後には元の天界に戻り、再び石に還って、自らの上に自分が下界で見聞したことを刻んだといいます。それがまた別の仙人に発見されてこの物語が世に出ることになったという落ちになっています。
何ともややこしい構成ですが、『紅楼夢』という物語の構成の緻密さの一端が現れているような気がします。賈宝玉やその他の美少女たちがどうなったのかはここでは述べないことにします。気になる方はぜひご自分で読んでみてください。では、また。

コメント

  1. 縷縷 しよう より:

    すみません、《紅楼夢》の作者は 曹雪 “斤” じゃなくて 、 “芹” です。

  2. しん より:

    基本的なことを間違えていました。大変失礼しました。